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1980年12月9日火曜日、ぼくは20歳になったばかりで、鳥取県西部にある米子市に住んでいた。親戚の建築会社で大工の見習いをしていて、その下宿だった。当時、その下宿に住んでいたのは、高齢の女性が二人と、近くのデパートに勤める20代の女性とぼく。作り置きの料理の余りものを分け合うような、当時たぶんよくあった家族的な昭和時代の下宿だった。
自由に使えるキッチンが部屋の近くにあって、そのころ下宿にいるときはヒマだったので、ほぼ毎日自炊をしていた。その日の夜は日曜日に作ったカレーを温めて食べた。大きな深い鍋を買ってきて、3日続けてカレーを食べることも珍しくなかった。
大工の見習いはきついこともあったが、みんな優しい人ばかりで、楽しんでやってた。1981年が酉年(とりどし)ということで、雪の多い冬だったが、境港に近いところで、人が住めるくらいの大きな鳥小屋の建築を手伝っていた。
インターネットも携帯電話もなく、目覚まし時計代わりに使っていたラジオのニュースでその一報を聞いた。世界が止まったような感覚があった。「12月8日、ジョン・レノンが銃で撃たれて死んだ。」泣きはしなかったけど、体じゅうのいろんなところに穴ぼこが開いたような感じがした。
ぼくが会社を辞めて下宿を出たのは、翌年の2月だった。
マーク・チャップマンが開いたのが、「ライ麦畑でつかまえて」の第27章だったのだとしたら、今から始まるのは、第28章だ。
これから新しい世界が始まる。
(ジョン・レノンの写真はジョン・レノン – Wikipediaから拝借しました。)